
こんにちは。寝落ち率が高めのキングですー!
「引き寄せってやっぱり存在しないのではないか??」
という話をしようかなって思います。
実は結構そういったセミナーとかワークショップに参加している人でも、
密かにこう思っちゃっている人は多いんじゃないのかなー。
って勝手に推測してます。
僕も正直、最初は有り得ないだろー無い無いって思っていたし、
特別な人にしか出来ない能力だわーとか、
自分には向いていないのかもしれないとか、
ちょっと自己否定に走ってしまったり、
オカルトとして捉える事によってどうにか自分の考えは間違っていないという、
正当性を主張してしまいがちになってしまったことはありませんか?
ちょっと悔しい部分もあるのかもしれません。
自分には出来ずに他の誰かが出来ていたら。
なんかそこを正直になれずに認めたくないんですよね。
でも、こういった場合、本当は心底「使いこなしてぇー」って思っていたりするんです。
実際に体現しちゃっている人を目の前にしていたり、
ブログで楽しそうに引き寄せている人を見たりすると余計に。
これ、あれに似てます。
自分よりも輝いてて普段から羨ましいと感じている友達(仮にAさん)が、
自分が仲良くしたいと思っている異性の人と、
遊んでいる時、Aさんが「今日飲み会やるんだけど来る人ー?」って
LINEグルとかで集合かけられて「いや、僕は今日無理だわ」と返事をするみたいな。
本当は仲良くしたい人がいるから行きたいけど、
なんかプライドみたいなものが邪魔をするみたいな。
・・・・違うかw?
「求めよ、さらば与えられん」
とか
自分がそう「引き寄せは無い」「自分には無理だ」
と思考すればその思考が現実化するので、
結果、「引き寄せは無い」「引き寄せ無理」という現実を引き寄せる。
だから、こういった言葉ありますように。
まずは求めよーぜ!素直に引き寄せを望もうぜ!
その法則は存在すると認めよーぜ!
そしたらさ、素直に引き寄せられる自分を現実化してくれるからさ。
求めることが第一なんだよ!
こう言ってしまうとここで記事は終わってしまうし、
よく本でもブログどこでも書いてありそうなことなので、
更に次元を上げていこうと思います。
うるせーよ!!わかってんだけど出来ないんだよ!!ww
って本当は言いたいだろうと思うので。
あーごめんなさい。第2回記事から飛ばし過ぎちゃうかもしれないww
さっきの文章よく見たら、
「引き寄せ」「現実化」「思考」の3文字でほぼ説明されているという超効率化された文章だったんですが、
これで納得するかー???ってところから。
なんとなく分かるし、理に適ってるけどなんか納得いかない。
これって「サッカーしなよ!スポーツだから楽しいぜ!」
って言われているのと同じかなと。
スポーツ=楽しいというのはなんとなく分かるけど、
サッカーのどこがどう面白いのかよく分からないし、
確かに楽しいことしたいけど何故サッカーをチョイスしたのか分からない。
まぁでもそう言われたからとりあえずサッカーしてみるかー・・・・
って無理矢理やってみる。
僕は昔サッカーをしていたので、楽しさは十分理解しているけど、
未経験者からすればたまったものじゃない。
だから、無理矢理引き寄せを起こそうとしている人は、
「私はやったことがないがサッカーをしている。
サッカーは楽しい。サッカーは楽しい。サッカーは楽しい・・・」
って呪文を唱えながらサッカーをしているようなものだと思っていますw
はたから見たらヤバイ人でしょ?w
本当に楽しんでる、、、?ってなりますよね。
今にもメラゾーマの炎が飛んできそうな勢いです。
言い換えたら、
「私は楽しいことをしたいので今引き寄せをしている。
思考は現実化する。思考は現実化する。思考は現実化する・・・
ワクワクする。ワクワクする。ワクワクする・・・・」
って感じと同じことではないかと思うw
まぁまぁ確かに「サッカーは楽しくない。サッカーは楽しくない・・・」
みたいに思うよりは「サッカーは楽しい」と思った方が脳的には良いわけですけど。
意識することは大切なんですが、
「何故意識することが大切なんですか?」
これを説明しようとして最初に出てくる言葉が、
「だって、思考は現実化するから」程度であれば、
それはまた難しいだろうなーって思います。
もうちょっとちゃんと説明できる上で呪文唱えるのであればOKだとは思います。
もちろん、それだけじゃ意味がないわけで。
(またこれは別枠で)
頭でサッカーを楽しめるほどサッカーも甘いスポーツじゃないし、
これは何に置き換えても言える事だろうと思います。。。
サッカーというよりスポーツ全般であれば、
思い通りに上手くプレーが出来なかったけど、
それが出来るようになってだんだん楽しくなってくる感覚があるんであれですが。
引き寄せも思い通りに引き寄せられないけど、
それがだんだんと引き寄せが起き始めてだんだんと楽しくなってくるわけなので、
最初っから理屈どうのこうのではない。
ただし
理屈があると早く発動するとは思う。
「サッカーしようぜ!
スポーツって最初は思い通りにプレー出来ずに楽しくないけど、
それがだんだんと出来るようになってだんだん楽しくなってくるから。
最初は無我夢中で何も考えずにやってみて、
その中で自分が思い通りにいかないことが見つかったら、
そこを練習して補って頑張ってみな!
乗り越え始めたとき楽しさ感じると思うからさ!」
みたいに。
結局、理屈で道筋を定めて、まずはとりあえず何も考えず体感していくのが一番ってわけじゃないかと思う。
道筋については航海に少し似ているのかなとは思います。
とりあえず望む現実を引き寄せたい!!だから、すでに現実化した姿は想像してます!
って段階の人は読んで欲しいのだけど。
すでに現実化した姿を想像するのは「方向性」がおおよそ見える。
「あそこにぼんやり島が見える。あそこの島へ向かっていこうぜ」と言うのと、
「多分あそこらへんに島があると思うから行こう」と言うのでは、
島への到達率は圧倒的な差が生じるわけです。
ある程度、ほんやり見えているのと見えていないのでは大きく違いますね。
だから、「望む現実を手に入れた状態をイメージ」しようぜ。
とこぞって言ってますよね。
皆ある程度これは出来ます。
消防士になる!とかサッカー選手になる!とか。
僕も「独立するぞ」って望む現実を想像はしてました。
そこに「現実化させた姿を想像してワクワクしよう」ってこぞって言っているんですが、
これは望遠鏡でその島を見て、
「可愛いねーちゃんがいるなーワクワク!」
「おおお、綺麗なビーチだなーワクワク!」って言っているようなもので、
あくまで望遠鏡で覗いているだけという。。。
望む現実を想像してワクワクしない人の方が少ないわけで。
やっていることは単純で「どこに島があるか?」ということを望遠鏡で確かめている。
この作業をやっているだけなんですね。
・・・・じゃあ、早く出発しろよ。
ってことなんですが、ここで皆は「船が無いし」「船酔いするし」でなんだかんだ言って行かないので、
島には行けないんですw
それに望遠鏡で島ばかりみていたので、肝心の道筋を見損ねている人がほとんどです。
島の方向性は分かっているんですが、道筋まで見てないので、
いざ出発しようと思っても。「あれれ、どうやって行けばいいんだっけ???」ってなります。
まぁこの辺の話はまたしますかー。
ちなみにドラッガーの有名なやつ。
「もしドラ」も一番最初に書かれているのは「方向性」の話なんですよね。
実は「実店舗経営者」「会社経営者」向きのマネジメント本なんですよ。
こぞって皆流行っていたから読んでましたが、
素人が読むとより迷走する本なんですw
話が反れましたが・・・
【「求めよ、さらば与えられん」
やっぱり自分がそう「引き寄せは無い」「自分には無理だ」
と思考すればその思考が現実化するので、
結果、「引き寄せは無い」「引き寄せ無理」という現実を引き寄せる】
この辺で止まっているようではそれは引き寄せは難しい。
むしろこれ止まりなら意識しない方が逆に引き寄せは上手く行くと思う。
僕の場合はそうだったので。
まぁ少し遠回りだったとは思いますがw
そんな感じです。
最後まで読んでくださり有難う御座います。
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