
こんにちは。人生は9割楽しくあれと思うキングです!
あなたの人生とはなんぞや?
僕が人生を語るにはまだまだ早いかもしれません。
しかし、思考が現実化する現実世界では、
この「人生=○○」という定義を見過ごして暮らすには、
あまりにも危険なことだと思っています。
僕は以前、人生とは
「たくさん問題・障害が立ちはだかり、
それを乗り越えていく峠のような、
上下するもの」だと考えていました。
そしたら、その通りで、
受験に悩まされ、
就活に悩まされ、
恋愛に悩まされ、
お金に悩まされ、
仕事に悩まされ、
自分自身に悩まされる人生を歩んできました。
そう考えたしたのは遠い昔のことではなく、
僕の場合、大学に入学してからですね。
上手く行かない、自分の思うようにいかないことが、
連続的にたくさん起き始めて、
そう思うようになりました。
そしたら、自然と「人生は苦しいもの」だと
思い始めたんです。
ここまで来ればもう癖になっています。
苦しいことが起きるのは当たり前の状況を、
どんどん引き寄せているなって感じだと思います。
傍から見れば。
確かに周りを見れば、
上手い事人生を歩んでいる人に話を聞けば、
「人生は楽しいもの」と言っていたり、
不運なことがよく起きる人を見ていたら、
どう定義しているかわかりませんが、
自分で不運を招いているなと思わざるを得ないようなことばかり、
起きている人も見てきました。
僕は自ら問題・障害を次々に招くような人生にしたくありませんし、
好き好んでそんな人生にする人はいないはずです。
自分を含めても誰もが楽しい人生にしたいと思っているはずです。
でも、それでも起きてしまう。
やはり人生は問題・障害が立ちはだかるものだと、
より定義を強固させてしまいます。
ここが落とし穴でした。
何故問題・障害が次々に起きるのかと言うと、
自分の意識が、
自分で定義した「人生とはたくさん問題・障害が立ちはだかり、
それを乗り越えていく峠のような、
上下するもの」という定義に引っ張られて、
たいして問題でも障害でもない事が起きる度に、
自分で問題を大きくしていたと気が付きました。
つまりは「問題が訪れる人生」に自分でしてしまっていたのです。
それに気付いた時にはなんてバカなんだと、
今まで自分が苦しんでいたことに笑いをこぼしてしまうくらいでした。
傍から見ても、
なんでそんな事で悩んでいるの?レベル。
自分で巨大化させてしまった問題に苦しんでいることほど、
バカなものは無いと思いました。
よく僕が感じる感覚でこういったものがあるんですが、
例えば景色の良い高いところから、
街を俯瞰して見たとき、
あまりの壮大さに自分がどれほど小さい事で悩んでいたのか、
バカバカしくなるような感覚。
「こんなにも人がたくさんいて、
それぞれ色々な想いで頑張っていて、
なんで自分はこれしきのことで頑張れないのか?」
と逆に自分を責めてしまうというような感覚です。
この瞬間って、人生とは「悩むほど大きな問題を抱える事はない。
楽しく、肩の力を抜いて前向きに過ごそう」って
脳内では起きていると思います。
意識の方向性がガラっと変わった瞬間ですよね。
要はここから人生を楽しく過ごしていくためには、
自分が今向けている意識を、
自分が望む方向に意識を向けていこうということなんです。
そのためにあなたにとっても人生とは?
これを言語化しておくというのは、
とても大事なことです。
今、自分は人生に対しどう思っているのか、
どう意識しているのか、
意識の方向性はどこに向いているのか確認が取れる方法だからです。
今の僕は「人生とはワクワクすることが
たくさん起きる有難い人生」
と思って過ごしています。
たった少しの意識も持ちようで、
目の前に起きる出来事が変わるなら、
意識くらい変えてやります^^
最後まで読んでいただき有難う御座いました。
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